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中日庭儀大法要(浄土宗) 2015年5月9日

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4月25日に天台宗の中日庭儀大法要が行われましたが、5月9日は浄土宗の中日庭儀大法要が行われます(午前10時〜午後2時)。
善光寺無宗派ですが天台宗と浄土宗によって管理運営されているので住職にあたる大勧進貫主天台宗)、大本願上人(浄土宗)がそれぞれお朝事やお数珠頂戴の儀も行います。
中日庭儀大法要もそれぞれの宗派で執り行うことになっています。中日庭儀大法要は御開帳された前立本尊を讃えるために行われるもので善光寺御開帳の最大の行事となっています。
先に行われた天台宗の法要は朱傘が鮮やかで時代絵巻を思わせる僧侶たちの儀式に心洗われる思いでした。
9日の浄土宗の法要もゴールデンウィーク後のはじめての週末ですがまた参拝者は増えることでしょう。

 

 

善光寺といえば信州善光寺ですよね

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善光寺といえば長野市にある善光寺を思浮かべる人が多いと思いますが、実は善光寺は全国各地にたくさん存在します。その数なんと100以上。
ではなぜそんなに善光寺ができるようになったのでしょうか?
時代は鎌倉時代までさかのぼります、その頃は今とは比べ物にならないくらい神仏への信仰は深かったのです。
鎌倉時代に勢力を持っていた北条氏善光寺信仰が強かったことから日本の各地に善光寺と名のつく寺が多く作られたと言われています。
また、戦国時代には信濃の領地を奪い合って武田氏と上杉氏が幾度となく戦を繰り広げたのも善光寺平です。その折、甲斐の武田信玄が戦火から本尊を守るために甲斐に移したとされるのが甲斐善光寺です。
甲斐善光寺に移った後も御本尊は戦火を逃れるために全国を転々としました、それがまた一種の布教活動のようになり善光寺の名前が全国に知れることにもなったようです。

 

 

善光寺巡り

善光寺の御本尊は本田善光により長野県飯田市元善光寺にもたらされたそうです。そのため「元」が付いた善光寺が存在します。
そして、現在もっとも有名な長野市善光寺があり、戦国時代に甲斐へ移された時の甲斐善光寺が三善光寺として有名です。
善光寺めぐりといって三善光寺や全国の善光寺を巡り歩く巡礼旅を行う人も少なくないようです。

 

 

両参りとは

先日、善光寺を参拝した折に参道で声を挙げて他の寺院への参拝を促す方がおられました。「善光寺と両方参れば両参りとなります。」と声をかけていましたが「両参り」とはどういう意味なのでしょうか?
調べてみると両参りとは宣伝文句のようなもののようです。この「両」にかかるものは特定の寺院ではなく善光寺と他にもう一つ詣でてみると両参りとなるという宣伝文句のようです。
両参りによく出てくるのが善光寺北向観音で、善光寺は来世の御利益が得られ北向観音は現世の御利益が得られるのでどちらか一方では片参りとなるとのいわれがあります。
ただ、この片参りにも諸説あり、善光寺詣での後は元善光寺も詣でないと片参りになるとも言います。

 

 

今週末の中日庭儀大法要も見に行ってみたいのですが人出が多そうなのでどうしようか迷っています。
でもせっかく参拝に行くのでしたらこういう大きな行事を一度は見てみたいですよね。